一陽来復(いちようらいふく)
冬至が過ぎました。
陰陽を嗜むものとして、この冬至はちょっと大事な日としています。
(・・・と言いながら、ブログを書いてないうちに、とっくに過ぎました・・・笑。)
夜の時間が一番長くなる日です。つまり、陰が極まるということ。ここから、陽が戻ります。
2021年もあと僅か。今年1年の私の暮らしは、陰を楽しみ、陰を実行することにありました。
陰というと、誤解されることが多いのですが、ただ静かしていて、身になることをしないという意味ではないです。
確かに、積極的に物事を進めていくイメージではないですが、だからといって”何もしない”わけでもなかったりします。
言葉というのはとても難しくて、陰陽の概念を伝える度に「難しいなぁ。」と10年以上陰ヨガを教えていても思います。
陰陽理論とは”理論”というけれど、文章で事細かく理論立てて説明すれば身につくものではなくて、実践して感じていくからこそ身につくものなので、陰ヨガで言えば、このことを理解してる人は、どんどん陰ヨガが伸びるけど、陰ヨガのアーサナにじっくり向き合わない人はいつまでも柔軟性が向上しない気がします。
そして、陰陽理論の大事なところであり、すごいところでもあるのですが、陰陽理論は、陰ヨガのプラクティスにとどまらず、日々のライフスタイルにも変化をもたらしてくれるところです。だから、春夏秋冬の気の流れに敏感になって、心身の健康を考えようとするわけです。
心身の落ち着きと健康を維持することは、自分に対する寛容さや優しさを持つことでもあると思うのです。自分を大事に毎日暮らしていますか?
話は戻りますが、私の今年のテーマであった”陰の暮らし”とは、
受け取る
でした。
”受け入れる”とニュアンスが似ていますが、”受け取る”は、能動的に陰の行いをする感じでしょうか。
目の前に降ってくるものを噛み砕いて、自分の中に落とし込むことを一生懸命しました。毎日に大きな変化や動きはそんなになかったけれど、ひたすら知識を入れたり、それを吟味したり、やり直したりしていました。かなり地味な暮らしですね(^^)
新しいインプットも多々ありましたが、過去のインプットを見直す作業も多かった気がします。そんなエネルギーの使い方をした1年でした。
知識をどんどん入れる様も陰です。落ち着いて、余計なものを捨ててスペースを作ってからじゃないと、新しいものは入ってきません。さらに、学んだ知識を吟味して、どう活かしていくかまで深く落とし込みます。これも、陰の働き。
自分のものにするとは、他人の真似ではないですね。最初は、真似的なことがあっても、じっくり何度も継続して触れていくことで、自分のものになっていく。本当に身につくとはこういうことなのだと思います。
陰は、睡眠を取ったり、休養を取ったり、落ち着いたり、静かになったりすることを言いますが、その単純な行為の奥には、私たちをもっともっと成長させてくれる性質が隠れています。それに触れた人は、多分、陰の概念や陰ヨガの良さを深く理解できるのだと思います。
立春までは、まだまだ冬の時間。是非、陰と陰ヨガを吟味してみてください。
ちなみに、きのこは冬の五行である腎を養ってくれる食材です。新潟にはこんな大きな椎茸があるみたいです。バターと醤油でホイル焼きにしました!美味しいですよー。