週末、名古屋で「メディテーションのための陰ヨガ」をしました。
名古屋の陰ヨガ指導者養成講座の修了生が集まりました。名古屋の人たちだけでなく、広島、三重、埼玉など色々なところからご参加くださり、ありがとうございます。
改めてまた思ったこと。
陰ヨガを教えることが好き。
毎回シークエンスが変わったり、クラスを引っ張っていくエネルギー感や何か変化あることで新しい自分を発見します。
自分を発見できる仕事って素晴らしいなと、自画自賛(笑。
ヨガがたまらなく好きです。
何のためにヨガをするのかって、師匠を売り込むことでもなく、特定のヨガの普及活動でも何でもなくて、自分と向き合うことをしたいから。ヨガは自分のためにあるものだから。自分に繫がれるツールだから。
今回、さらに、陰ヨガとメディテーションの繋がりが深まりました。私のヨガの軌跡がここにあります。何故、ハタヨガから始めたヨガが陰ヨガに繋がり、さらにメディテーションに繋がって来たのかという一連の流れの中にメディテーションがあるということです。
そして、本当に「陰」という要素は、「座る」ということに必須なことなんだなって思います。人はグラウンディングをしないと始まらない。そして、体を静止していくこと、静寂さを持つことは、日々の生活や人生など全ての源になっていくんだなって思います。いつもいつも同じことを言ってるようですが、これが私のヨガをする原動力です。活動や仕事のエンジンなのです。
陰ヨガとメディテーション関連は、また、どこかでワークショップやりたいと思っています★
しかし、陰ヨガのワークショップをした後の皆の笑顔が好き。ゆるみ委ねる力ってこういうことなんだなと思います。