何をやるにしても、それが扱っている”素材”を知ることがまず必須だと思うのです。
料理をする際も、どこの産地のどんなトマトなのか、どんな品種のポテトなのか?はとても大事です。煮物にするなら煮崩れしにくいポテトを調理するのが適しているし、ポテトサラダならホクホクになる品種がいい。トマトも生が美味しいのか、火を通した方が甘くなるのかによりパスタにするのかサラダにするのか決まってくる。
身体もそうです。
ヨガは、身体を素材にしたもの。
だから、自分の身体はどんな形で、どんなことになっているのかを知ることがまず大事です。雑誌の表紙のモデルさんや、インストラクターさん、隣で一緒にヨガをしている人の身体を基準にしても全く意味がないヨガになります。だから、まず、自分で動いて、自分で感じて、自分で経験してみることなのです。
最近、改めてプラクティスの大切さを感じています。この夏の後半に、プチ夏バテを起こした私は、胃の調子があまり良くない日々が続いていました。内臓の不調のせいもあり、さらに夏は気が上昇しやすい性質もあり、私の肩と首は硬くなって、zoomに映る自分の背中が硬くて、「皆さんに申し訳ないなぁ。」と思いながらのヨガレッスンだったりしたことも。
もちろん、寝る前に陰ヨガをしたりして、柔軟性を保とうと努力はしていましたが、なかなか身体が緩まず。。。困った日々だったのですが、やっと最近、肩周りが少し緩み始めて、先日の「秋の陰ヨガ」講座で行った”呼吸を緩める&感じる”のシークエンスが私の身体にもフィットしていて、今度は、少しずつ胸のあたりの強張りが解けてきました。
すると、新たに出来たスペースの中にちょっとした気づきがありました。ちょっと先の未来がすっとカタチになって脳裏に見えてきた感じです。それも自然に、無理なく。それから、よくわかりませんが、それから陽ヨガと瞑想の練習の時間がちょこっと増えました(笑。過去の経験からいうと、ヨガの時間が増える時は、落ち着いて毎日が充実している時です。
身体の柔軟性を維持しているときは、充実した毎日になっている気がします。身体もスッキリしていて気分もいいですし、気持ちも落ち着いています。
私の身体は、そんな性質があるようです。
自分が取り組みたい素材に向き合ってみること。
あれこれ考えずに、シンプルに身体に向き合ってみること。
体験を大事にすること。
身体は柔軟性が命だなと本当に思うこの頃。柔軟な身体から生まれる気づきのエッセンスは、日々の生活をハッピーにするヒントでもあると思うのです。そのために、まずはその素材を知ること。素材をよく理解するために、その素材にできるだけ多く触れることです。今後も、優しく丁寧に尊敬の念を持って、アーサナ(ヨガ)にじっくり深く取り組んでいこうと思います。
写真は、8月にひまわり見に行った時のもの。台風の後だったので、ひまわりちゃん達が薙ぎ倒されていて可哀想でした(^^;