雨が続いていた8月後半、ひょこっと晴れた合間に弥彦にドライブに行ってきました。クネクネの山道は、小学校の修学旅行で行った日光のいろは坂のようでした。運転席のMr.旦那が喜んで、走り屋かよ!というようなイキった運転をしたで、助手席の私は、ちょっと気持ち悪くなりました(ーー;
最近、心が沈むことがあります。スッキリしないというか、ドヨーンとするというか。。。
世の中の暗いニュースに、ちょっと敏感になってしまっているみたいです。どんなに元気な人でも、やはり社会の周りの空気に影響されてしまいます。自分の心のケアも大事だなと思います。このコロナの先にやってくる大事なことのような気がします。
心のケアというと、癒しとか、リラックスとか、楽しいことを考えたり、楽しいことをしよう的なことが思い浮かぶ人も多いかもしれませんが、本当の心のケアとは、悲しいことも、苦しいことも、もちろん楽しいことも全て取り扱うことです。
ヨガを始めてから十数年が立ち、数年前から私のヨガは、年齢的なものもあるかと思いますが、ボディからマインドへと重心が移っています。社会の時の流れとしてはいいタイミングなのかもしれません。特に、陰ヨガをじっくり深めてからのメディテーションというのは、エネルギー的にも適切な気がします。
私がヨガを始めた頃は、アーサナ、プラナーヤマ、メディテーションと3つの柱を教わりました。つまり、メディテーションまで学びを進めないヨガは、ヨガでないと教わりました。このお話は、また『Junostyleの陰ヨガコラム』でコラムを書こうと思っていますが、ヨガの経典と言われる「ヨガスートラ」に書かれているアシュタンガ(八支則)になぞらえば、最後のサマディとは心の安寧を得られなかったらヨガではないということになります。
心の安寧とは、楽しい!嬉しい!というエキサイティングすることではありません。ユートピアやお花畑に身を置くことでもありません。そこが常に誤解されるところですが、最初に書いたように、ネガティブな面もポジティブな面も全て受け入れることがベースとなっています。
弥彦の山の緑に触れながら、心を広い自然の中で自由にしてみました。心と身体が緩んでいく気がしました。