3月の活動報告です。
3月は対面のクラスが多かった印象です。「のびのびと暮らす」がテーマでしたので、呼吸にフォーカスするクラスが多かったです。
春は、中医学に沿って考えると五臓は「肝」を鎮めることが大切となりますが、同時に免疫力をアップしておきたいために、肺の役割である呼吸を大事にしたい季節でもあります。年齢的に胸や肩のあたり、背中全般が硬い生徒さんが多いことから、特に、3月のヨガクラスでは呼吸にフォーカスをしたイメージです。
呼吸に気づくということは、自分のことに気がつくことでもあります。「息」は自分の心と書きますしね。精神状態が現れたりもするでしょう。心が窮屈になっている時は身体も硬く、呼吸が浅くなっているかもしれません。逆に、すごいリラックスしている時は深い呼吸ができているでしょう。アロマセラピーを受けていたり、陰ヨガをしている時は呼吸が深くなっていると思いますよ!
陽ヨガも、元気に身体を動かすことで呼吸を動かしますし、呼吸筋をしっかり動かすことで健康的な呼吸になっていきます。いずれにせよ、呼吸を通して、自分自身に気ついていくというヨガの大事なプロセスをしているわけです。
ヨガを教えていて思うことは、多くの人があまり自分の身体に気がついてないということです。肩がとても硬いことに気がついていないとか、呼吸ができてないことに気がついてないとか。。。この体の硬さで日常生活はどうしているのだろう?と思うこともあったり(^^;
自分も例外ではないと戒めながら、ヨガのクラスでは丁寧にアジャストをしています。私の役割は、イチから伝えることだから。ヨガってこういうものなんだよ、と。
自分の身体の状態に気がついてないというのは、講師養成講座をしていても同じことを思うことがあります。15年前からヨガの養成講座に関わるお仕事をさせてもらっていますが、近年は、特にそう思うことが多いかも。
時代の特徴なのでしょうか?じっくり学びを続けることが少ない印象です。パッパと効率よく学ぶことが優先されているというか、、、こんなことを言い出したら、恐らく、私は歳をとったのでしょうね(笑。
逆に、じっくり向かうからこそ、自分の経験と血肉になるヨガの経験ができない環境(社会情勢のせい?)にいることが不憫だなと思うこともあります。哲学の一種であるヨガは、一生もの。一生学びがあるから人生が満ちるわけです。何故なら、本物をそこに見出せていけるから。
もしかしたら、現代のヨガにとって、アーサナひとつひとつのアライメントとか、ヨガの哲学とか、そんな面倒くさいことは不要なのかしら?と思うこともたまにありますね(^^;
とは言っても、やっぱり、自分が好きになったヨガは、ただ消費だけのそんなチープなものではなくて、学びがあるからこそ深くて、年齢や人生経験を重ねるからこそ見えてくる領域もあったりして、そんなヨガをやっぱり続けたいと思うのでした。
以前のブログでもどこかでこんなことを書いたかも(^^;
さて、新年度がスタートしまして、今年度もしっとり活動をしたいと思っています。
何故、陰ヨガなのか?
何故、陰ヨガを知るには陽ヨガの基礎が必要なのか?
何故、アーサナ講座をやっているのか?
何故、瞑想なのか?
何故、哲学が必要なのか?
などなど、もっと伝えられることを伝えていきたいと思っています。4月のヨガクラスや瞑想クラスはスタートしています。是非、ご参加ください。