秋の始まりの9月。コロナ禍ご無沙汰していた先生とともに、ヨガ(陽ヨガ)をプラクティスするようになりました。アメリカからのクラスなのでzoomで繋がるプラクティスです。
先生は、「Hi, Junko!」とウェルカムしてくれて、さらに先生自身が以前よりパワーアップしていて、学びが深いヨガを楽しんでいます。
ただ、一つ感じたことがあります。
瞑想をしている先生に、ヨガを習いたいな。
と純粋に思ったことです。
身体のことはよく知っているし、勉強も深いし、心も優しい先生ではありますが、瞑想を本格的に勉強している人との違いがオーラというか空気感で感じるのです。うまく言えないのですが、マインドフルネスに満ちた人との違いをちょっとした時に感じて、本心でそう思いました。
何が違うのかを説明するのは難しいのですが、マインドフルネスに満ちた人と一緒にいると、心が安心する気がします。心の底から「はっ!」と感じる気づきをくれたりもします。心身ともに安定していて、穏やかで、深いエネルギーがそこにあるのです。
瞑想のサンガにいたり、瞑想の先生と触れている中で、
本気で心に向き合っている人は、透明で美しい。
と感じるようになりました。心は手強く、実は落ち着かせるのは一筋縄ではいきません。瞑想している人は実感があるでしょう。だから、本気で心に向き合う覚悟をして努力をしている人は、とても透明で美しいオーラを持っていると感じるのです。
自分もそんな人物になることを、いつしか目標にするようになりました。だからなのか、同じ志を持ったヨガの先生にヨガを習い、一緒にプラクティスしたいと思うようになりました。
アーサナを通して、自分の発見と理解をしていくヨガですが、やはり自分と向き合う作業は、身体だけでは何かが欠けてしまっているなと感じます。身体の動きを止めて、心の奥底から本来の静けさを取り戻さない限りは、”真の自分”というものは発見できないからです。
瞑想で修めていく心の訓練は、私のヨガをじんわりと変えているなと感じるこの頃です。だから、先日のブログ「アーサナのシャマタ」でも書いたように、今一度、純粋にアーサナに向き合いたい気持ちでいるのだと思います。