ドラマ「昼顔」を見ました。
始めは、どろんどろんの不倫ドラマと思っていたけど、ストーリーの結末とラストシーンに、すごく深い何かを感じました。脚本家の意図はどういうものだったかはわからないけど、不倫がダメとか、神様が罰を与えたとか、そういうことよりも、もっと深いエッセンスがこのストーリーにはあるんじゃないかと思うのです。
私たちは、社会の中で生きています。決して、1人で生きているわけではありません。
1人じゃないからって、自由がないわけではなくて、実は、社会の中で生きていくことは、大きな自由を得るチャンスをもらえるのだと思います。人生におこる出来事が、関わる人の数の分増えていくからです。社会で生きる、自分以外の人と一緒に生きる、ということには、自分の役割が発生します。それを責任という言葉で説明するときもあるでしょう。結婚も、役割とか責任を発生させるルールのひとつでしょう。その役割や責任の中で、私たちは成長していくのであって、そんな外部環境を含めて、自分なのだと思います。このドラマの結末は、一見、そんな責任とか世間体にしばられたように見えるけど、自分自身の使命を生きるように、神様がそれぞれの歩みをさせたのではないかと私は思いました。
紗和が、小火騒ぎの後、とらわれなかったのも、彼女の人生の課題はそこになかったからだと思います。そして、紗和の旦那さんや先生の奥さんにも、それぞれの課題が与えられたのだと思います。画家にも、利佳子にも同じく。
高校の放送室から、先生が話した内容で印象的だったのが、人は、心をもったホモサピエンスだということ。心を持つから、人生いろいろあるわけで、心があるから複雑なのです。その心を知ろうとするのがヨガなのだけど、自分の真の心を知った人は強いと思います。歩んでいく強さを持つから。
そして、やっぱり、極めつけはラストシーン。2人が同じ時に、同じ場所にいたこと。お互い気がつかずにすれ違ってしまったのは、神様からの宿題を、これから頑張ってやらないといけないからなんじゃないかと思うのです。紗和は、「また、神様を怒らせるかもしれません。」と最後心でつぶやくんだけど、出会うべき人だったら、きっと、またどこかでまた再会すると思います。どんな形がはわからないけど、自然にやってきてしまうと思います。きっと、あるべき形で未来に出会いがあるのだと思います。だから、頑張って神様の宿題頑張ってね、と思うのでした。天地人が同時にくるように。
私は毎日、天地人の「人」を整えるのに一生懸命です。まだまだ、未熟だなと落ち込むこともありますが、神様からの宿題は、ひとつひとつ丁寧にこなしていこうという強い気持ちでいっぱいです。少しスピードアップもしながら。