ヨガと通して、感性を磨くこと。
それは、自分の心の器を広く大きく育てていくことです。
私がヨガを習い始めたときは、
ヨガはアーサナだけがヨガではなく、呼吸法と瞑想を含めてヨガだ!
と習ったものです。
ヨガというと、スタジオでアーサナをやることだけがヨガと捉えられがちでうが、本来はもっと深いんだよ、と。さらに、たどり着くためのプロセスの一つと考えると、禅修行のように一生修行していくものだとも捉えられます。
ヨガは心の器を広げるプロセスなんだ!
アーサナだけではないんだ!
という説明は納得がいきます。
調身・調息・調心
と言ったりしますが、まさに、体と呼吸と心を整えること。これがヨガです。全てが繋がっているわけですから、身体を整えていけば、呼吸も整い、そして心も整えられるということです。
ただ、私がアーサナを通して、今、感じていることは、アーサナだけでは心をその真髄まで整えるのは難しいなという点です。
心が整うどころか、逆に、アーサナのプラクティスに執着しすぎて、心が狭くなってしまっている人も少なくないな、と感じます。
一生懸命努力してプラクティスするのは必要ですが、体調を壊してまで無理をしてやるのも違う。身体を整えるアーサナのはずが、怪我の原因になっていたりも違います。
陰陽が説いている調和(バランス)も大事です。そのバランスがわからなくなる時は、心の器が狭くなっているときだと思うのです。
すがるようにヨガをしたりしていませんか?
ヨガをすれば幸せがやってくる(救われる)と思っていませんか?
”ありのまま”という言葉を、自分の我ままを通して好きなように自由にしていいことなんだ、と思っていませんか?
心の器を広げることとは、自分の意のままに物事を進める支配力を強くすることではありません。横柄になることでもありません。心の器を広げるとは、感性を磨き、まずは天地の自然を感じられるようになることだと思うのです。天地が織りなす四季を感じて、季節の流れに合わせて暮らすことができる自由な心を持てることだと思うのです。
私が、Junostyleで展開する陰ヨガにおいて、季節を大事にしている所以です。
まずは、旬のものから食べるライフスタイルを持ち合わせてみませんか。
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