陰を持つというのは、自分を持つということ

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いつも言っているのことですが、

陰ヨガは、それだけで完成形ではないです。だって、陰と陽の融合が完成だから。でも、じゃあ、なんで陰の極に到達するように”緩める”や”脱力”をしていくの?
・・・・それは、陰だけを見つめる時間と空間を持つことが、とっても価値があるから。陰だけを見つけることで、調和している中では発見できなかった気づきがあるからです。

陽ヨガは、言ってみれば、それだけで陰と陽の融合です。プラクティスの性質上、とてつもなく陽に偏っているタイプのヨガもあるけど、それはそういう目的があって生まれたヨガだから、それもそれなりに価値があるのです。

ヨガは、ひとりひとりにあるもの。だから、流派の違いや同じ流派でもタイプの違いがあって当然です。でも、どれがいいとか、どれが古いとか最新だとかはないはず。その人のヨガは、”今ここにある”ものだから。他人のやってるヨガを否定した時点で、もうすでにヨガは起きてないと思います。

ヨガは、その人の中にあるもの。だから、他人のヨガを伝えることがヨガを伝えることじゃない。確かに、習った師匠はいます。しかし、師匠のヨガをそのまま普及することが私の役割じゃない。先生から学んだことを自分の中に取り入れて、そして、自分にしかないヨガが段々自然に形づくられていく・・・・。私の指導者養成講座を修了した生徒さんにも、最初は私の真似であっても、最終的には、自分のヨガにたどり着いてほしいと思っています。だって、バックグラウンドも経験もこれから出会うであろう未来も、皆、違う道を歩んでいくんだから。

陰は、私たちが常に戻るところでもあり、私たちが自分を取り戻すところでもあります。陰という概念を理解しているということは、自分を持っているということ。 自分のヨガに到達するためには、絶対に”陰”という性質が必要だと思います。

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