メディテーションを学んでいます。そのメディテーションのひとつに、他に愛と慈悲の心を送るメディテーションがあるのだけど、皆のヨガに対してリスペクトすることも、これに通じるんじゃないかなと思います。
他人がプラクティスしているヨガを否定するのは、おかしいんじゃないかな?と思うことがあります。最近、そんな会話とか、投稿記事とか、メッセージをもらうことが多々あります。まともな人の中には、これが正しいとかこれは古いとか、伝統的なヨガにおいてそんなこと言っている人はいない。
その人にとって、必要なヨガに出会い、追求していくからこそ、本来のヨガが始まるのではないか。自分がピンとくるヨガや好きなヨガをすればいいだけのこと。ヨガは自分のためにあるもの。好きを決めるのは自分であり、先生ではない。だから、自分のヨガだけをしろ!という先生は疑ってかかったほうがいいと思います。宗教じゃないのだから。
陰ヨガのワークショップやトレーニングをする度に、自分のヨガを改めて見直します。陽ヨガもやるし、マインドフルネスも学ぶし、社長として仕事もするし、そんなライフスタイルを過ごしていくからこそ存在する私のヨガがある。それだけでいいのです。
陰ヨガには、陰ヨガの深め方があります。目に見えないんだけど、揺るぎない強さがそこにある。最近は「メディテーションのための陰ヨガ」講座を重ねる度に、陰ヨガとメディテーションの繋がりと違いをますます感じています。しなやかな強靭になりたいといつも思います。それが私のヨガ。
次は7月8日、名古屋だよー。
「メディテーションのための陰ヨガ」
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http://www.junostyle.jp/pdfs/workshop/ws_meditation2017Kobe.pdf